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小説 小はん殺し結城純一郎の演説 (19)

 駿河台方面隊の後から隊列となって靖国通りに出た靖国方面隊一千名は歩道橋を渡り、
靖国神社第一鳥居前のアスファルト舗装された広場に出ると、目の前の東京理科大学から
北の丸スクエアまでの歩道を占領した。一千名の部隊は田安門入り口から昭和館までの歩
道を占領した。証券マンスタイルの熊谷史也は、靖国方面隊の臣民軍が集会参加の部隊で
あると偽装し、靖国神社境内の集会主催者に話をつけてきた。

「靖国神社境内に三千名以上入ると危険なので、われわれの部隊は境内の外で待機する」

 集会の主催者たちは熊谷史也の靖国神社境内の外にも集会参加者部隊を置くという巧み
な分割方式にすっかり騙されてしまっていた。自民党青年部の杉山大蔵も「これで集会参
加者は五千名になる、大成功だ。武部幹事長にもグッドな報告ができる。おれはまたほめ
てもらえる」とはしゃいでいた。熊谷史也にとって人は株に過ぎなかった。個人投資家を
うまく騙すように旧右翼の幹部たちを詐欺にかけることは容易だった。靖国神社境内から
デモ隊が出発する午後四時は迫っていた。熊谷史也は境内を歩き、集会参加者たちをくま
なく観察した。演説は巨大な第一鳥居前に停めてある街宣車の上から行われていた。参加
者たちの前方が第一鳥居で、前には東京理科大学のロゴが入った建物が見える。参加者た
ちの隊列は大村益次郎銅像まで延びている。第一鳥居から一〇〇メートル。大村益次郎銅
像から休息所あたりは分散したグループや個人、それにヤジ馬たちがいた。熊谷史也は慰
霊の泉から桜並木を越え、九段高校のグランドが見える境にやってきた。靖国神社と九段
高校の境には細い道路があった。九段高校グランドには道路にそって緑色の網がかかって
いた。野球玉がグランドから越えないようにする仕様だった。網の向こうにサングラスを
かけひとり立っていたのは遊軍隊の指揮者だった。熊谷史也は顔をうなずき合図した。遊
軍隊の指揮者も顔で合図に応える。遊軍兵士は校舎の影に隠れている。時刻が来れば、九
段高校から道路を越え、靖国神社の林になだれこみ、境内に向かって武器を投げる作戦だ
った。すでに裏路地には武器補給のためのヤマト運輸宅配車が並んで停車している。

 熊谷史也は九段高校からの突撃準備完了を確認すると、第一鳥居をくぐり、田安門入り
口に行く歩道橋の階段を登った。この上から臣民軍全体を指揮する作戦だった。歩道橋の
上から見ると警視庁公安私服たちが混乱している様子が見えた。九段下交差点までの両歩
道には臣民軍二千名が占領している。旧右翼のデモ隊先頭は九段坂交差点から右折し九段
会館へ突入を図るだろう。靖国神社境内からのデモ出発前に臣民軍は靖国通り、新宿方面
の車をスットプさせる。靖国通りは新宿方面が三車線、神田方面が三車線の計六車線道路
だった。靖国神社境内を出たデモ隊は神田方面の二車道を使用する。右翼のデモ隊に警視
庁機動隊がサンドイッチにすることはありえなかった。交通警官が警備につくだけであろ
うと熊谷史也は判断した。警視庁機動隊のバスは大手水舎あたりに待機している。その数、
十台。バスの中には機動隊員が乗っているはずだった。しかし最近の機動隊員は左翼の過
激な街頭デモが消滅したので、現場での攻防体験はなく、サラリーマン化していることを
熊谷史也は知っていた。戦闘が開始されても機動隊員はバスの中から外に出てこないと熊
谷史也は読んでいた。彼我の関係である現場は戦闘開始の予告に震えている。

 午後三時五十分になった。熊谷史也は臣民軍に命令し新宿方面へ流れる車を九段下交差
点でストップさせ、右折の目白通りか左折の内堀通りへと流れさせた。車の運転手には右
翼が火炎ビンを投げながら九段会館に突入してくるので危険であると説明させた。新宿方
面へ直進する車が九段下交差点から目白通り、内堀通りに流れると、熊谷史也は神田神保
町方面に直進する車を九段上交差点でストップさせ、内堀通りへと迂回させた。九段上交
差点から九段下交差点までの靖国通りから走行する車両が消えた。そのとき、ヤマト運輸
の宅配車のみが九段下交差点を直進してきた。武器を積んだクロネコヤマトは田安門入り
口のところに停車した。

「九段会館大ホールから代議員、防衛隊とも全員退却完了」

 熊谷史也の携帯電話に九段会館の臣民軍から報告メールが入った。

「右翼の攻撃隊に偽装し、九段会館駐車場にあるマスゴミ報道車に火炎ボトルを投げ火達
磨にしろ。開始時刻は午後四時。右翼街宣車への火炎攻撃は、敵自らが逃亡するように仕
掛けろ」

 熊谷史也の指示は、右翼の突入にみせかけ、まず九段会館の駐車場にある報道車を燃や
す。その報復として九段会館周辺を防衛している臣民軍が旧右翼デモ隊の先頭である街宣
車に攻撃することだった。九段会館への旧右翼の突入に待っていたのでは、全てが後手に
回ってしまうと熊谷史也は判断していた。それに九段会館の駐車場は狭すぎて戦場創出に
は向いていなかった。戦場はこちらから創出しなくてならない。その戦場とはやはり靖国
神社から九段下交差点に及ぶ道路だった。敵が逃げるルートもつくっておく必要があった。
手傷を負った敵が逃げるルートをつくらなければ、手傷を負った敵は全身全霊で突破口を
開こうとわが方に向かってくる。それは危険でしかない。熊谷史也は手傷を負った敵が逃
げるルートを地下鉄に設定した。壊滅された旧右翼のデモ隊参加者を地下鉄九段駅に追い
込む作戦だった。旧右翼の街宣車も恐怖におびえ逃亡させることができれば最善だった。
街宣車を炎上させ、運転不能までに壊滅してしまうと、街宣車の廃残を撤去するまで時間
がかかり靖国通りの交通が渋滞になってしまう。街宣車の逃げ道をつくるのも必要だった。
重要なのは戦闘の収束だった。右翼街宣車を火炎ボトルによって炎上させ完全破壊する方
針は熊谷史也のなかですでに修正されていた。

「戦闘とは株式市場と同じだ。そのつど修正しながらアッタクを仕掛ける。人間の騙しあ
いゲームこそが戦闘であり株式市場だ。証券マンだったおれは人間のゲームを市場で学ぶ
ことができた。駿河台方面隊のホリホリモン司令官も靖国方面隊司令官のおれも、おそら
く、騒乱罪で逮捕されてしまうだろう。しかしおれたちはまだ若い。獄中体験はおれたち
を英雄にするだろう」

 熊谷史也にとって街頭での戦闘とは世界への回路だった。街頭の戦闘が開始されようと
している。靖国通りの戦闘は世界に映像発信されていくだろう。熊谷史也は世界に接続し
ている人間として緊張の興奮を楽しんでいた。戦闘開始午後四時五分前、一月十七日の現
場。靖国神社第一鳥居の巨大な柱は狂気の紫に震えていた。やがて路上に血の鮮血が落ち
るはずである。墨で書かれた虚言ではなく血で書かれた騒乱を都市は待っている。それが
五分前のもうひとつの帝都だった。

 
by gumintou | 2006-09-09 06:14 | 小はん殺し結城純一郎


混沌から


by gumintou

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