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小説 小はん殺し結城純一郎の演説 (15)

 国家生活党臣民軍司令官の江堀貴之は三十三歳だった。彼は、ホリホリモンという愛称
で臣民軍兵士から呼ばれていた。ホリホリモンは九段会館からオートバイでやってきた防
衛副隊長世耕弘成から、武道館午後三時出発の命令と戦闘戦術を受け取り要細の作戦を地
図を見ながら打ち合わせると、副司令官である熊谷史也に、分隊長を楽屋に集めろ! と
命令した。熊谷史也は二十八歳だった。

 一階、二階の客席には臣民軍兵士一万が、すでに武装的身体で待機している。分隊長の
指揮下には五十人の兵士がいた。

 二百人の分隊長が大きな楽屋に集まってきた。世耕弘成参謀は飯田隊長の防衛軍司方針
を分隊長の前で伝達した。

「第一師団、四千で、靖国神社の旧右翼にアッタク。第二師団四千で駿河台明大の左翼に
アタック。靖国方面隊は副司令官熊谷が指揮をとれ。駿河台方面隊は司令官江掘が指揮を
とる。第三師団二千は武道館を防衛する。武道館防衛はおれが指揮をとる。靖国方面隊の
旧右翼デモ隊のアタック時刻はデモ隊が靖国神社から出発する午後四時。戦場は靖国神社
境内と靖国通り。第一弾は一斉に煙に巻くゴキブリ退治のバルサンを投げろ。第二弾はラ
ッカーシンナーが入ったペットボトルを投げろ。敵はバルサンの煙に驚嘆しラッカーシン
ナーの飛散でラッリてしまい混乱する。デモ隊が混乱したらナチス棒と鉄管で襲い掛かれ。
敵を靖国神社から下る九段坂で壊滅しろ。靖国通りは車の往来が激しい道路だ。車両の交
通をストップにしてから前、後ろ、両側面の四方からアッタクしろ。アタックは敵ひとり
ひとりの足が骨折するまで撲滅しろ。駿河台方面隊のアッタク開始時刻はデモ隊が明治大
学から出発する午後五時。ここでも敵の部隊を明治大学構内に残存させないように、デモ
隊の後尾の最後が明治大学を出た瞬間を狙え。武器は兵站部が準備している。戦場は駿河
台の下り坂だ。左翼は火炎ビンを武器として使用するので、高圧水銃のドラゴンで水攻め
にしてからアッタクする。ここでも前、後ろ、両側面の四方からナチス棒と鉄管で足を骨
折させ撲滅しろ。旧右翼デモ隊を壊滅したら靖国方面隊は、すぐさま武道館に帰還し、お
れの指揮下に入り武道館防衛に従事しろ。駿河台方面隊も左翼デモ隊を壊滅した後はすぐ
さま武道館に帰還し、武道館防衛に従事しろ。兵站部はクロネコヤマトに偽装している。
各分隊は靖国通り、駿河台通りのに止まっている偽装クロネコヤマトの宅配車から武器が
補給される。五十人の分隊に武器と負傷手当応急処置医薬品を積んだ兵站部の偽装クロネ
コヤマト宅配車一台が配置してある。戦闘支援は万全だ。負傷した兵士は兵站部が偽装ク
ロネコヤマト宅配車で、武道館まで搬送することになっている。武道館には医療チームを
配置させた。諸君は戦闘の表方である。表方を支える裏方を信頼して、武装身体を全面展
開して敵を壊滅してほしい。九段会館での大会は午後三時三十分をもって休止とする。そ
の後、党幹部と代議員は武道館へ移動する。武道館での大会再開は午後六時。国家生活党
大会の粉砕を叫ぶ旧右翼デモ隊と左翼デモ隊を壊滅した後は、臣民軍全軍で合衆国統一党
による破壊攻撃と対峙することになる」

 続いてホリホリモン江掘貴之司令官が号令を出した。

「全軍出発!」

 熊谷史也は一千名名の遊撃隊兵士を分散させ、靖国神社を迂回し裏にある九段高校の校
庭に集結させろと遊撃隊の分隊長に指示した。攻撃まではできるだけ無防備都市に溶け込
めと指示した。遊撃隊の兵士はネクタイ背広紳士服にコートを羽織ったセールスマンや神
保町古本屋街にきた学生を装い武道館からばらばらに単独で出発していった。靴は固定さ
れた金属が足を防衛する安全靴仕様だった。遊撃隊は九段高校から出撃しデモ隊の後尾を
襲撃させる作戦だった。世耕弘成参謀の戦術は聞かされたが、靖国方面隊の現場指揮は熊
谷史也に任されていた。世耕弘成参謀はデモ隊の後尾が靖国神社を出発してから攻撃を開
始しろと命令したが熊谷史也はデモ隊がまだ残っている時点で攻撃するつもりだった。お
れは靖国神社の建物に火をつけないが大村益次郎の銅像は破壊するだろうと熊谷史也はお
のれの実現能力を確信していた。

 熊谷史也は一千名の臣民軍を北の丸公園清水門方向から九段会館へと進軍させた。党幹
部や代議員が九段会館の裏口から脱出する時間は午後三時五十分、誰が見ても九段会館を
防衛するために派遣されてきたと思うだろう。九段会館の臣民軍は突入してくる旧右翼の
街宣車や先頭のデモ隊を壊滅するのが任務だと熊谷史也から指示されていた。街宣車攻撃
の武器は火炎ボトルだった。熊谷史也は九段会館に向かう分隊長に靖国神社では火炎ビン
は使用しないが九段会館では街宣車に投げ火達磨にしろと命令した。ラッカーシンナーが
入ったペットボトルに火をつけて投げれば火炎ボトルになるはずだった。マスゴミどもの
報道車両もついでに燃やしてやれと指示をした。九段会館の建物は火の海にしないが、会
館の外たる駐車場や広場のアスファルト敷地、さらには九段坂を火の海に、おれはするだ
ろうと熊谷史也はおのれの冒険主義を確信していた。火炎ボトルの投下は昭和館の屋上か
らしろと攻撃部隊に熊谷史人は命令していた。

 ネクタイをしめサングラスをかけた証券会社スタイルに装った熊谷史也が武道館から外
に出たとき、冷たい風がふいてきた。彼は白いマフラーを首にかけ黒いコートのえりの間
から中に入れた。一月十七日の冬空はすでに重い雪雲になろうとしている。熊谷史也はふ
と腰に装着されているナチス棒を触った。今は短いが、取り出して振り下ろせば長い棒に
なる。

 熊谷史也の故郷は西会津の村だった。あの日は雪だった。彼は父の葬式を思い出してい
た。四月になったばかりの日、父はガンで死んだ。葬式の日、なごり雪は大雪となってい
た。そのとき、熊谷史は小学4年生になろうとしていた。進級の前に父は死んだ。

 父は棺桶に入れられた。その長い棺桶を村人が麻で編んだ会津武士衣装を着て墓まで運
んでいく。村人は哀悼の謡を唄っていた。棺桶を運ぶ村人は裸足だった。舗装された道路
が黒く濡れていた。重い雪が降っていた。土葬だった。熊谷史也は村人の後ろから付いて
いった。雪は舞い向こうに山並みがうっすらと見えた。家では祖母と母が泣いていた。

 熊谷史也はちいさい頃から、明治維新軍に敗北した会津戦争の話を聞かされていた。会
津人はまだ長州を許してはいなかった。会津軍の死者は葬ることも許されず、野ざらしに
されたのだった。

「死者を冒涜した敵を会津人は永遠に許さんぞ!」

 祖母はいつも話していた。

 明治維新軍の神社が靖国だった。熊谷史也にとって、そこは敵の神社だった。

「おれは会津人として、今日、決着をつけてやる」

 熊谷史也は、靖国神社での大会戦その戦闘をイメージトレーニングしていた。
by gumintou | 2006-09-09 14:27 | 小はん殺し結城純一郎


混沌から


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