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小説  新昆類  (40-1)  【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

  今の矢板~喜連川線の街道はアスファルト道路を乗用車が疾走するばかりで、バス路線
は廃止されている。昔はジャリ道が田園を貫いている道路だった。向こうから犬を連れ赤
い服を着た年配の肥えた婦人がやってきた。小堀建設産業が宅地造成した家の人間だった。
田舎の人間は犬を連れて散歩などしない。都会から移り住んだ女だった。泥荒は犬をなぜ
てやった。犬は喜んで尻尾をふっている。いい犬ですね、と泥荒は犬の主人にほめてやっ
た。年配の女は笑顔になり、今日は天気がいいですね、と無防備な姿で云った。空は群青
の日本晴れだったが、一筋の飛行機雲が見えた。ケムトレイルだと泥荒は判断した。こん
なところにも米軍は日本国民の身体抵抗力を弱めるためインフルエンザ物質を空から散布
している。日本は今もアメリカの占領地だった。西には高原山が雄大にそびえていた。何
をしに来たんですか? と無防備な女が聞いてきたので泥荒は写真を撮りに歩いているん
ですと答えた。女は笑顔だが不審のまなざしを隠さず、犬を連れて田園の舗装道路を歩い
ていった。

 三叉路の宮田から増録に入る山道はもうなかった。泥荒にとって増録の山に入るのは小
学生以来だった。泥荒はしかたがなく造成された家に向かった。家の横に舗装された増録
に入る道路があった。道路から泥荒は十二月の山の中に入っていった。山頂をめざしそこ
から峰伝いに歩いて行けばデイアラ神社があるはずだった。小屋のトタン屋根が見えてき
た。あれだと泥荒は確信した。藪を押しのけ泥荒はそこにたどり着いた。デイアラ神社だ
った。社である小屋の前はちいさな広場で高く広いイチョウの幹が相対で空にそびえてい
た。広場から細い坂道が街道に下りているが何年も誰もおまいりに来た形跡はなかった。
坂道の途中に鳥居があった。そこから古い注連縄が釣られていた。縄は雨風に侵食されそ
うとうに古くなっていた。参拝する細い坂道の両脇には高い杉の木が空に枝をつんざし呼
吸していた。空を仰ぐとき杉の枝に高貴な精神の営みがあった。植物情報体は山の精神を
守っていた。そこに精神史の記憶が現有していた。泥荒は坂道を降り成田村の街道からの
入り口のところにやってきた。入り口は笹で覆われていたが石があった。そこには「安永
九年干支庚子二十三夜供養」という文字が刻まれていた。泥荒は再び参拝の坂道を登り鳥
居の下で膝をおり正座をした。小屋の社殿に向かって頭を地につけ、お参りをした。

「帰ってまりました」

 泥荒の腹から胸にその音声なき言葉が響き渡り、脳波から言葉は社へと波動していった。
相対するイチョウの枝葉が風に踊り音をたてた。杉の枝からひとすじの陽光がそそいでい
る。植物情報体は何も云わなかったがひたすらデイアラ神社を守っていた。その品格ある
記憶の重力に泥荒は感覚の観応によって圧倒されていた。ここに日本があった。古の日本
があった。そして泥荒は鬼怒一族と有留一族の部族であった。その力によってようやくこ
の増録の山を矢板の土建会社から買い戻したのであった。

 泥荒は立ち上がり社殿の小屋の左側から再び山の藪の中に入った。そして先ほどの舗装
してある道に出る。そこを下ると増録のちいさな田畑の盆地が見えてきた。田畑は作蔵さ
んの田んぼだった。その手前に竹の林があり、竹の前には廃残物が落ちていた。泥荒の祖
父である寛の隠居屋敷の跡だった。昔、泥荒もここに住んでいたのだ。しばらく泥荒はお
の原点に立ち尽くしていた。廃墟の匂いは湿っていた。廃残物が四十六年前の記憶を呼び
戻す。泥荒の家族がこの原点から矢板の町に去ったのは、泥荒が小学三年の二月だった。
矢板の町の貸し長屋に引っ越してから一週間ほどたって、泥荒は兄と母に連れられ豊田小
学校に転校の挨拶にいった。級友が鉛筆をプレゼントしてくれた。泥荒はその暖かさが嬉
しかった。冬将軍の二月ほど人の暖かい春の灯火が感じられことを泥荒は始めて学んだ。
豊田小学校でクラスの仲間から学んだことが泥荒の原点となった。優しさである。

 宅地造成された家の方から土建屋の作業服を着た男が歩いてきた。

 小堀建設産業の人間だった。この山はすでに真知子の山として登記されているにもかか
わらずこの山に入っているのは、木を切り出す盗賊に来たのであろうと泥荒は判断した。
大不況のなか地方はすでに盗賊経済に突入していた。農協の倉庫からは大量の米俵が盗ま
れ、農家の倉庫からは農耕機械がまるごと盗まれていた。油断はできないと泥荒は思った。
牧歌的な田園の共同体はすでに崩壊し人心は荒廃していた。誰もが動物のハイエナのごと
く他人の財産を狙っていた。泥荒は小堀建設産業の人間にデジタルカメラを向け、風景を
撮るようにシャッターを切った。デジタルカメラの電子音が耳に響く。小堀建設産業の人
間は舗装された道路を引き返していった。

 田んぼの向こうに見える作蔵さんの家は昔と変わらなかった。作蔵さんの家の年配の女
の人がこちらを不審そうに見ていたので、泥荒は農道をまっすぐに歩き作蔵さんの家のと
ころまでやってきた。

「昔、増録に住んでいた泥荒です」

 泥荒が挨拶すると女の人はああと四十年前を思い出してくれた。彼女は作蔵さんの長男
の嫁さんだった。まもなく作蔵さんの長男であるノリオさんがやってきた。小柄なノリオ
さんはもう七十歳になっていた。作蔵さんとその奥さんはもう亡くなっていた。泥荒が子
供の頃よく遊んだひとつ年が上のマサちゃんは家の裏にある離れのプレハブ小屋に住んで
いた。ノリオさんの奥さんは起きているかどうかわからないと云った。いつも昼ごろ起き
だすとのことだった。マサちゃんの小屋の前に行くとマサちゃんが戸を開け顔をだした。
マサちゃんの顔は作蔵さんに似ていた。増録の子供たちが小学校に行き、まだ入学前でひ
とり増録に残された泥荒を相手にいつも遊んでくれたのが作蔵さんだった。遊び場は作蔵
さんの家の庭だった。マサちゃんはただニコニコなつかしそうに笑っていた。増録のガキ
大将だったマサちゃんの兄であるミノちゃんは、今、矢板の町の市営住宅に住んでいると
のことだった。

 泥荒はマサちゃんと別れ、子供の頃、豊田小学校へ通っていた道を歩いていった。とき
おり山の中に入り、山の状態を調べた。高原山の別荘に帰ったら、渡辺寛之と真知子に報
告しなくてならなかった。しかし山の調査は一日だけでは無理であった。今日は山道のみ
を確認すればいいだろうと泥荒は判断した。渡辺寛之が進めている新昆類のグレードアッ
プ、新昆類の野生化のためには、高原山に大々的に放すことはできない。高原山は観光地
化され、有留源一郎が山縣農場から買収した山地の隣は栃木県が管理する「県民の森」だ
った。そして高原山は矢板市の職員がそのつど管理のために入っている。まだ新昆類が行
政の人間に見つかってはならなかった。そこでこの増録の山が新昆類の野生化のための牧
場として決定されたのである。その新昆類家畜牧場計画の現場責任者こそ泥荒だった。

 泥荒は再び作蔵さんの家に行く東側の脇道まで戻った。そこから豊田にある廣次の家に
行く山道に入る。この山道は泥荒が四歳のときミツ子に連れられ、初めて増録に来た山道
であった。ミツ子と廣次は七十年代初期に亡くなった。真知子が購入した山は増録から成
田への西側の山であり、この増録から豊田への東側の山は他人の山である。その山は豊田
の人間がまだ持っていたが、いずれここも買収できれば、新昆類家畜牧場はより広大に展
開できると泥荒は判断した。静寂でなだらかな細い山道だった。そこから急な坂を下ると
広大な田園風景の豊田が見えてきた。

 泥荒はその昔、四歳まで世話になった廣次の家に寄ってみた。廣次の家に、廣次の娘で
あるトモちゃんの婿に佐久山から入ったカツトシさんがひとり住んでいた。カツトシさん
は泥荒に上がれとすすめ、お茶を出してくれた。廣次の家は寛の長男が継いだマサシの家
を本宅と呼んでいた。その本宅のマサシが一家皆殺し銃殺事件を昨年起こしたのである。

「本宅があんな事件を起こしてしまってなぁ……テレビで豊田も有名になってしまった、
ハハッハ……おら、外にも出ずひっそりと暮らしているだよ。おらもう八十歳だんべ……
女房のトモエも二十年前に死んでしまってなぁ……長男のトシオは十年前にトラックで交
通事故を起こして死んでしまったし…トシオの借金一千万がおらの肩にのしかかってきた
っぺ……おら、やっとこさ、その借金、払い終わったとこだんべ……おらの人生、何もい
いことながったんべよぉ……しかしよぉ、おらぁ、土地だけは意地でも売らなかった。百
姓が田んぼや山を売れば地獄に落ちる……本宅がいい見本だんべ……それにしても本宅の
マサシさんは何であんな事件起こしてしまったんだんべ……」

 カツトシさんは、お茶をすすりながら話した。カツトシさんの楽しみは嫁いだ長女のヨ
リコと次女のキミコが子供を連れて帰って来てくれることだった。泥荒は今来た山道、増
録の西側から豊田にかけての山の所有者を教えてくれと聞こうとしたが、いきなりそれは
まずいと判断し、聞くのをやめた。その代わり、どうも子供の頃はお世話になりましたと
頭を深く下げ感謝の礼をした。カツトシさんは笑顔だったが、何故、泥荒が突然訪問して
きたのか不審の目をしていた。カツトシさんは八十歳には思えぬほど意志力がみなぎり身
体からは垂直の背骨を感じさせた。泥荒はこれからカツトシさんの家族の墓参りをして矢
板に帰りますと云って、玄関を後にした。そしてふと、あの山の一部の所有者にカツトシ
さんもなっているかもしれない思った。

 廣次のあとを継いだカツトシさんの家から泥荒は北へと歩いていった。豊田集落を北から
南へと貫く道路だった。太陽が昇る東側を見ると田園のなかに那須与一を祀った湯泉神社
があった。湯泉神社は那須国の神社だった。新しく建て替えられたばかりだった。泥荒の父
ノブの兄であるマサシの家は没落し壊滅していったが、この集落は金を持ってると泥荒は判
断した。金がなければ神社など新装できない。空を見上げると、米軍によるケムトレイル見
えた。飛行機雲を出しながら高原山の方向に銀色の米軍C135空軍機が飛んでいく。そし
てひとすじの飛行機雲は拡散していく。インフルエンザを引き起こしてしまう物質を散布し
ているのである。明日の朝にはその物質がこの豊田にも落ちてくるだろう。そして人はイン
セルエンザ風邪にかかってしまうのある。まずやられるのは朝、歩いて登校する子供たちだ
った。そしてインフルエンザは子供から親に伝染していく。どんな田舎の空であろうとそこ
は米軍の制空権にあり、米軍は好きなように物質を散布し、好きなように実験しているので
ある。実験対象のモルモットは日本人でった。日本人は日本列島という牧場に飼われた家畜
でもあった。

 三叉路だった。西への道は集落の寺である浄光院への小道だった。三叉路の角には昔、
高い半鐘があったが今はない。北側にある家は泥荒の幼馴染の家だった。豊田小学校から
の帰り、よくこの家に寄り遊んだ記憶がよみがえった。さらにこの家の近くの家に、小学
二年のとき、ノート代にあと五円足りなくて借りに行ったことがある。その朝、泥荒はノ
ートを買う金が足りなくて、増録からミツ子に頼もうと廣次の家にやってきた。ミツ子は
いなかった。ノート代は二十円した。手元には十五円しかなかった。廣次の家にミツ子は
いなかった。しかたがなく泥荒は豊田小学校への道を歩いていった。そのとき向こうに女
の人が見えたのである。その家は三叉路の手前の奥にあった。ちいさい家だった。
by gumintou | 2006-11-12 03:44 | 小説 新昆類


混沌から


by gumintou

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