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小説  新昆類  (40-2)  【第1回日経小説大賞第1次予選落選】


「すいません。ノートを買うのにあと五円足りないんです。貸してくれませんか?」

 泥荒は一生懸命に頼んだのである。泥荒はノート代のことしか考えていなかった。やが
てミツ子がやってきた。女の人はほら来たよといってミツ子が向こうから来たことを教え
てくれた。ミツ子は泥荒を廣次の家の近くまで連れていった。風を遮る杉の木が立ってい
た。ミツはここで待っていろと泥荒に云った。ミツ子は廣次の家から戻り二十円を泥荒の
手に渡した。哀れと悲しみのミツ子の表情があった。記憶は重力でもあった。

 泥荒は冷たい人間だった。ミツ子が死んだのは昭和四十九(一九七四)年三月五日だっ
た。そのとき矢板にいてシャープの下請けの電器製造会社に勤めていた泥荒は、母テルと
一緒に廣次の家まで、親戚の人の車に乗せられ通夜に行った。次の日は葬式だった。お茶
を飲んでいるとき、泥荒は廣次に「おまえは冷たい人間だ」と言われたのである。泥荒は
ミツ子が入院しているときに見舞いに行かなかったからである。子供の頃はあんなにもお
まえのめんどうをみたのに、おまえは成長してからミツ子に冷たかった。何の恩返しもし
なかったと、そう廣次は泥荒に言おうとしたのである。泥荒は頭を垂れるしかなかった。
廣次はミツの後を追うようにしてその年の十一月二十五日に亡くなった。

 泥荒は浄光院の門をくぐり、山に隣接した高台にある墓場まで歩いていった。そして廣
次の家の墓を探した。廣次の家の墓はそこにあった。線香を持っていなかったので泥荒は
寺で分けてもらおうと思い、寺の玄関から、すいませんと声をかけた。出てきたのは美し
い二十歳くらいの乙女だった。お参りに来たのですが線香がなくて……すいませんが少し
分けてもらえませんでしょうか? と、ていねいに娘に頼んだ。娘はこころよく線香を持
ってきてくれた。泥荒ていねいに頭を下げ、そして水桶に水を入れ、廣次の家の墓を洗い、
線香を燃やした。いままでこれなくてすいませんでした。お許しくださいと墓の前で手を
合わせた。墓には廣次とミツ子そしてカツトシさんの妻トモエさんとカツトシさんの長男で
あるトシオちゃんの名前が刻まれていた。

 泥荒は水桶を寺の設定場所に戻し、再度、寺の玄関ですいませんと声をかけた。娘が出
てきた。お坊さんにあいさつをして帰りたいのですがと頼むと、娘は部屋の奥におとうさ
んと呼びかけた。寺の裏から住職が普段着で下駄をはいて出てきた。住職は泥荒の兄であ
るトモユキの同級生だった。トモユキちゃんは元気ですかとなつかしく嬉しそうに住職が
聞いてきたので、泥荒は兄は元気にやっていますと答えた。それからありがとうございま
したと住職に礼を言って御辞儀をして浄光院を後にした。

 次に泥荒が向かうところは、マサシの家だった。マサシの家は浄光院入り口の三叉路に
戻りそこから豊田小学校方向の北に歩いていくとそこにマサシの家の入り口の道があった。
家は山を背にした西側である。道の東側は佐久山に行く街道沿いの西豊田まで田んぼが広
大に続いていた。ここは関東平野の最北端でもあった。マサシの家には誰も住んでいなか
った。廃墟である。この家を新築したのはミツ子と廣次が死んだ年だった。以前はもっと
奥にある百年もたったからぶき屋根の古い江戸末期の農家だったが、そこを打ち壊し、西
豊田集落の南北を貫く道路の近くに屋敷をかまえた。庭の中央で泥荒は屋敷を見ながら立
ち尽くしていた。十二月の風が廃墟に舞っていた。山と田畑をすべて売った屋敷には、そ
して誰もいなくなった。

 泥荒は舗装された道路に戻り、すこし北に歩いた四つ角から農道に入り、かつてノブの
実家で、マサシによって取り壊された寛の家の跡地から山に向かったが昔あった道はすで
になかった。寛の家の跡地は小堀建設産業の資材置き場になって重機があった。マサシは
山のみならず平地も小堀建設産業に売ってしまっていたのである。平地と山の境界には不
気味な樹木が白い枯葉をつけていた。真知子が小堀建設産業から買収したのは増録の山の
みであって、ここらは小堀建設産業の私有地のままだった。

 泥荒は道なき山の中に藪をかきわけ入っていった。登っていくと、馬頭観音の石碑があ
るところまで来た。ここから東に降りていけば豊田小学校に向かう道にでる。その道は西
豊田集落を南北に貫いている幹線道路である。太陽が沈む西へ行けばちいさな盆地の増録
の集落に出る。豊田に出る下り坂の北側には祠があった。そして村人の墓場も山にあった。
馬頭観音の石碑は山の頂点にあった。

 そこは日向山と呼ばれていた。南にすこし登ると、昔、ノブとテルが畑に開墾した場所
に降りられるがそこはもう畑ではなく、ここも小堀建設産業の資材置き場であの重機が置
いてあった。マサシが死んだ場所である。泥荒はそこに立ち尽くすと右手をかざし念仏を
唱えた。マサシとその家族への鎮魂である。日向山には誰もいなかった。増録への山道を
降りていくと電磁波のうなる音が聞こえてきた。北側の山の中に携帯電話の電波中継鉄塔
があった。電磁波を発している場所が近くにあることは新昆類が山で野生化するのに都合
がよかった。増録の山で電磁波実験が出来るからである。増録の山で電磁波を出しても、
空を管理している米軍は、その電磁波の出所がこの携帯電話の電波中継鉄塔からであると
錯覚してくれるだろう。真知子が買収した山の周辺もよく調査することが泥荒の仕事でも
あった。しかし今日は昔あった山道が現在どうなっているかを調べるのが目的だった。山
道を調査するのも一日だけでは無理だと泥荒は判断した。すでに午後四時になっていた。
泥荒は増録への山道を急いで下っていった。

 「父よ、何故あなたは狂ったのだ」ふと泥荒の脳裏に父ノブの面影がよぎった。父が発
狂したのは調布の都営住宅に住んでいた頃だった。調布飛行場の爆音が、ノブが勤めたい
た大田区大森の軍需工場への米軍B29による空爆、その無惨な工場壊滅の記憶を呼び出
したのだろうか。ノブはそのとき助かったが、一緒に集団就職で野崎尋常小学校から就職
した同級生は死んでしまった。昭和二十(一九四五)年一月にノブのところに陸軍宇都宮
連隊へ入隊しなければならない赤紙がきた。ノブは工場の従業員に送られ郷里へと同級生
より一足先に帰った。そして宇都宮連隊に入隊した。

 その年の四月十五日~十六日、京浜工業地帯へのB29による大空襲があった。それは
米軍第二十一爆撃機集団司令部一九四五年四月十四日付作戦命令第五号による空爆だった。
米軍の攻撃目標のひとつは第九十・十七-三六〇一区(現・大田区大森町・平和島付近)
東京市街第二地域でそこは米軍第七三航空団が担当した。

 その日は川崎も空爆された。軍需産業を数多く抱える京浜地区は米軍の空爆によって壊
滅されてしまった。ノブは宇都宮連隊に入隊していたゆえに、京浜地区への大空襲からま
ぬがれことができた。終戦になりノブは宇都宮連隊の解散によって豊田に帰郷した。そし
てすぐ、大森の軍需工場で死んだ級友の線香をあげにいった。そのとき冷たい視線をノブ
は家族から浴びた。

「おめぇだけぇ生き残りやがって、ちくしょう、このくたばりぞこない野郎」

 鬼の顔でノブに石を投げる老婆がいた。その夏の日からノブは豊田で無口になり、ただ
ニコニコ笑って、自己主張しないごまかす人間になった。ノブにとって戦時中より戦争が
終わってからの方が世間様は地獄だと思った。そしてすぐ占領軍指令による農地解放令が
やってきた。ノブは地主の家から没落の家に住むことになった。ノブの父である寛と母で
あるトキは昔の地主だった頃の繁栄を暗い囲炉裏でなつかしむ人間となった。自ら農作業
をあまりしたことがなく働くことが嫌いな地主階級はひたすら戦後、没落し世の中に遅れ
ていくしかなかった。それでもノブの実家は山を持っていたが、それもマサシが売り、と
うとう田畑まで全部売ってしまったのである。今、ノブが産まれた本宅は廃墟となり、そ
して誰もいなくなった。

 ノブが死んだのは横浜市瀬谷区にある横浜相原病院だった。死因は心室細動、慢性硬膜
下水腫。ノブは横浜市港南区にある日野病院の精神病棟から転送され、横浜相原病院で息
をひきとったのは平成八(一九九六)年六月十六日午後0時三分だった。泥荒はそのとき
イタリアのミラノへ昆虫研究のため渡辺寛之と一緒に行っていたので臨終には会えなかっ
た。兄のトモユキとヨシヒコがノブの最後に立ち会った。ミラノの街で食事をしていたと
き、歯が欠けた。そのとき泥荒はノブが死んだと思った。泥荒がミラノから成田空港に降
りたとき、すでにノブの葬式は終わっていた。おれは冷たい人間だとあらためて泥荒は自
分を認識した。ノブは七十一歳であの世にいった。ノブは人生の半分を精神病院で過ごし
た。発病したのは第二次世界大戦が終戦しやってきた意味不明の戦後だった。精神史の敗
北をノブは人生において受苦し、身体の牢獄から世間様の転移を見てきたのである。発狂
してきたのは精神病棟の外側の世界であったのかもしれない。人はかろうじてバランス感
覚でおのれの精神を保持しているに過ぎない壊れ者としての人間である。おのれを発狂世
界の日常で制御するバランス感覚が失った人間は精神病棟へ送還されていく。これが市民
社会の秘密だった。

 先月の十一月、泥荒は母テルに会いにいった。テルは八十六歳になっていた。テルは埼
玉県比企郡にある森林公園近くの病院に躁うつ病患者として入院していた。入院費は自分
の年金でまかなっていた。テルは矢板にいたとき、南に行けば運が開けるとよく言ってい
た。しかしここも南の海はなかった。父の治之助、母のサヨの故郷である広島からここは
あまりにも遠かった。泥荒が有留一族と鬼怒一族の構成員になったのも、祖母のサヨが広
島市の山である鎌倉寺山、その麓の村である有留で産まれ育ったからもしれないと、泥荒
は血の継承と運命を感じる。

 病院に面会に行くと、車椅子に乗せられたテルは若い看護婦に付き添われ、精神病棟の
面会室までやってきた。看護婦がどの息子さんと聞くとテルは右手の指を三本突き出した。
泥荒が三男の息子であることを指で表示したのである。テルの脳回路はまだ鮮明だったが
言葉は一言も出さなかった。唇は固く結んだままだった。テルは目を見開いて泥荒の顔を
見る。動物的本能の母の臭覚でテルは泥荒の表情と身体から現在の生活状態の情報を感覚
で読もうとしていた。テルは泥荒が何かおそろしいことを企てているのではないかと知覚
した。看護婦は、帰るとき声をかけて下さいと面会室から出て行った。面会は決まりで三
十分間だった。

「母ちゃんがここを出るから、おまえがこの病院に残れ」

 テルは歯が抜け固く閉ざしてきた唇を動かしゆっくりと断固した決意の言葉を発した。
さすがは困難を切り開きながら家族を生存させてきた母の動物的生命力と精神力であると
泥荒はテルを見た。テルはまっすぐなまなざしで泥荒を見定めている。泥荒はニガ笑いを
して話を切り替えた。

「おふくろ、いいか、百歳まで生き抜くんだぞ」

 泥荒は両手十本の指を広げテルに云った。そしてテルの左手を握った。テルが強く握り
返す。今度はテルの右手を握り、あいた手でさすってやった。テルの表情がなごんできた。
母と息子に会話する話題はなかった。泥荒は三年前に妹のジュンコが四十六歳でガンで死
んだことはまだテルに告げられなかった。ジュンコはテルの娘だった。ジュンコが死んだ
ことを動物的本能で知覚したテルは三年前から言葉を忘れたかのように唇を固く閉ざした。
それじゃぁ、また来るから、がんばってねと泥荒はテルのまなざしに何回も別れを告げ、
精神病棟の扉の外に出た。泥荒にできることは二ヵ月に一回、テルに会いに来ることだっ
た。

 泥荒は病院の駐車場に置いてあった自転車に乗った。その自転車は東武東上線の森林公
園駅から乗ってきたレンタル自転車だった。自転車が大きな道路に出ると左右は田園風景
だった。風はそれほど冷たくはなかった。風景に十一月の意味があった。今度は右折して
車が多い道路を疾走していく。左側のちいさな丘に神社があった。次の四つ角を左折する
と右側に骨川中学校が見えてきた。そしてまた自転車で走る。泥荒は汗ばんできた。大き
な道路に出る。そこを横断すると森林公園の入り口がある。そこからは駅までサイクリン
グコースだった。ところどころに平和をモチーフにした家族の像が立っている。そして空
を見上げると、埼玉県森林公園の上空には、米軍無人ヒューマノイド飛行機によるウィル
ス散布、ケムトレイルの飛行機雲が生成していた。泥荒は日本列島の植物にウィルスを蓄
積するのが、あのケムトレイルの目的ではないかと判断した。在日米軍は、米国軍産複合
体と国防省によって開発された新機種を、ケムトレイル実験のために投入し、日本列島上
空を自由自在に飛行させている。日本国民は牧場に飼われた実験動物とされていた。

 日本でガン死亡率がトップなのは、在日米軍機によるウィルス散布であった。それを日
本政府とマスゴミはタバコ喫煙に原因があると日本国民を洗脳している。「喫煙撲滅」を
世界で展開している世界保健機構もイルミナティ機関だった。春の花粉症もスギの花粉に
原因があるのでなく、真犯人は米軍機によるウィルス散布、ケムトレイルだった。日本ば
かりでなく、世界各地でケムトレイルは軍事作戦として展開されていた。

 鳥ウィルスの発生は米国宇宙軍によるケムトレイルが原因だった。すでに米国宇宙軍は
気象兵器、地震兵器を開発成功させ実験していた。フリーメーソンが上部機構に浸透した
フリーメーソン中国政府も、有人宇宙船「神船」を成功させ、2010年までに中国宇宙
軍を創設しようとしている。そして日本を裏で管理コントロールするのは、マフィア暗黒
王となったフリーメーソン池田大作だった。世界は全面展開として2015年体制に向か
っていた。重要なのは一点だった。その一点こそ、「もうひとつの日本」である鬼怒一族
と有留一族の人知れぬ事業の営みだった。一点を防衛できぬ者は、世界管理機構によって
人間牧場で飼育される屠所の群れになるはずだった。飼育された人間は日常に疑問を持た
ない。携帯電話と結合、見えない電磁波の鎖につながれ、飼育された人間こそ、世界牧場
の現代人だった。そして今、縄文以来の日本の野と山、森が米国宇宙軍によるウィルス散
布によって死滅しようとしていた。山岳修験道は防衛として復活するだろうか……

 「ハハの国としての海と山」
 米国宇宙軍と2010年に創設される中国宇宙軍に抵抗できるのは、ただ一点だった。
縄文の思想による昆虫情報体、「新昆類」だと泥荒は確信している。

「野に伏し、山に伏し、我、新昆類とともに在り」

 泥荒は事業成功への強い自覚をもった。


【第1回日本経済新聞小説大賞 第1次予選落選】
by gumintou | 2006-11-12 03:43 | 小説 新昆類


混沌から


by gumintou

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